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尾張:清州城(きよすじょう)

住 所 :愛知県清須市朝日城屋敷1-1
築城者 :斯波義重
築城年代:応永十二年
形 式 :平城
遺 構 :模擬天守
入場料 :大人 300円 / 小人 150円
指定史跡:未指定
訪問日 :平成31年04月29日

歴史

清州城は応永十二年に斯波義重(しばよししげ)によって築城された。
文明十年に尾張守護代の織田氏が勢力を広げると守護所が清州城へ移され尾張国の中軸を担う城となった。
弘治元年に織田信長は一族間で対立していた清州城城主:織田信友(おだのぶとも)を滅ぼすと信長が清州城城主なり信長はその後何度も清州城の拡張に乗り出した。
永禄五年に信長は三河国:徳川家康と清州城で同盟を結ぶと美濃攻めに乗り出した。
この際の同盟は「清州同盟」と呼ばれている。 美濃攻めの際に小牧山城を築城し信長は清州城から小牧山城へ本拠を移した。
天正十年に信長が「本能寺の変」で倒れるとその後継者を巡り清州城で会議が行われる。これが「清州会議」である。
その後、清州城は信長次男:信雄が相続するが豊臣秀吉による国替えで信雄はこの命に反発し徐封され清州城は福島正則(ふくしままさのり)の居城となる。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」で戦功をあげた正則が安芸へ転封すると同十二年徳川家康の九男:義直が入城する。
そして名古屋城が築城されると清州城はその資材として解体され廃城となった。

現在

現在の清州城は模擬天守が建てられている。
日本史に何度も出てくるこの名城だが当時の遺構は何も残されていない。
隣接している清州公園に信長の銅像が建てられていた。

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