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日向:延岡城址(のべおかじょうあと)

住 所 :宮崎県延岡市東本小路
築城者 :高橋元種
築城年代:慶長六年
形 式 :平山城
遺 構 :復元城門・天守台・石垣
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成28年01月16日
  • 続日本100名城

歴史

延岡城は元来この地の覇権を握っていた土持氏が松尾城を築城したのが礎となっている。
だが土持氏は武士団として勢力を拡大するも豊後の大友宗麟に滅ぼされてしまう。
天正十五年に豊臣秀吉の九州征伐で功をあげた香春岳城主:高橋元種(たかはしもとたね)が松尾城に入城した。
更に元種は「関ヶ原の戦い」で東軍に味方し徳川家康から領土を安泰されると 慶長六年から二年の歳月をかけ新たに城を築城し名を懸城とし元種の居城となった。
だが高橋氏は慶十八年に罪人をかくまった事により改易されてしまう(実際は徳川幕府による外様大名潰しとも云われている)
高橋氏の跡として肥前:日之江城より有馬氏が入城すると有馬康純(ありまやすずみ)の子・直純が懸城の大改修を行い近世城郭へと変貌を遂げその改修にともない地名を延岡と変えた為に、城の名も延岡城と改めている。
その後は三浦氏・牧野氏が藩主をつとめ延享四年に内藤氏が転封する。
そして内藤氏八代の時に明治時代を迎えた。

現在

現在の延岡城址は「城跡公園」となっており石垣や天守台を残している。
春の季節には多くの桜が満開に咲き花見の名所として賑わっている。
この城址の見所は何といっても高石垣だろう。特に天守台の石垣は「千人殺し」と呼ばれ礎石の一部を破壊すると石垣が崩れ落ち敵兵千人を殺す仕掛けになっている。
その高さは22mもありこの城址の一番の見所となっており天守台の下から見たらその迫力に度肝を抜かれてしまう。
他にも大手門が復元されており、庭園跡や三重櫓跡、 枡形門跡などが復元されている箇所が多くこの城址の面影を見渡す事ができる。

続日本100名城スタンプ設置場所

城山公園二の丸広場管理事務所前

延岡城址関連サイト

延岡観光協会

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