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肥前:日野江城址(ひのえじょうあと)

住 所 :長崎県南島原市北有馬町戊2444
築城者 :有馬経澄
築城年代:建保年間
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・空堀
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成18年09月25日
  • 国指定史跡

歴史

日野江城は建保時代に有馬経澄(ありまつねずみ)が築城したと伝えられているが規模や構図などは未だに不明だ。
有馬氏は日野江城を居城として勢力を保つと有馬氏澄の子:貴純(たかずみ)の時代には島原半島全体を領土にしている。
だが有馬十三代:晴信(はるのぶ)の時代に猛将:龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)との争いで追い詰められていくのだが薩摩:島津氏の力を借りて龍造寺を撃退している。
しかし晴信は慶長十七年に「岡本大八事件」で責任を取らされ島原を去って行った。
その後、松倉重政(まつくらしげまさ)が入城したが交通の不便さを理由に新たに島原城を築城した。
日野江城は廃城となるが「島原の乱」で日野江城は原城の支城として一揆軍に使用される事となる。

現在

現在の日之江城址は石垣や曲輪などが残っている。
本丸跡地と二の丸跡地は別ルートから行く必要があり多少不便だが、二の丸跡地にある石垣は見応えのある遺構となっていた。
今では大手階段が復元されており現在も発掘調査中の城址だ。

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