筑前:一ノ岳城址(いちのだけじょうあと)
住 所 :福岡県那珂川市五ケ山
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :石垣・堀切・土塁・空堀
指定史跡:未指定
訪問日 :令和02年06月07日
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :石垣・堀切・土塁・空堀
指定史跡:未指定
訪問日 :令和02年06月07日
歴史
一ノ岳城は築城者や築城年代は不明だが九州探題(きゅうしゅうたんだい)であった千葉氏の居城であった。
天正年間には勝尾城主:筑紫広門(つくしひろかど)の支城となっている。
広門は岩屋城主の高橋紹運(たかはしじょううん)と度々激突していたのだが同十四年に和睦している。
だが同年に薩摩:島津氏が九州制覇の為この地へ侵攻すると筑紫氏の本拠地である勝尾城は落城してしまい広門は大善寺に幽閉されてしまう。
残された筑紫氏の家臣団は一ノ岳城に籠城し島津氏に抵抗するも圧倒的に不利な情勢の中、一ノ岳城は落城してしまう。
しかし翌年の豊臣秀吉による九州征伐の軍が島津氏と激突すると、広門は大善寺から脱出し家臣団を率い一ノ岳城の島津勢に襲い掛かり城の奪回に成功している。
現在
現在の一ノ岳城址は一ノ岳山頂に多くの遺構を残している。
一ノ岳は標高648mの山だが山岳地図や国土地理院には隣接している陣ノ尾山(じんのおやま)が一ノ岳山頂となっているが古くから一ノ岳山頂はこちらの様だ。
山頂には南北に細長く伸びた曲輪が確認できその北端の三角点が在る場所が本丸となる。
その本丸の西斜面には石垣が確認できた。また本丸から東には二の丸があり立派な石垣が残されているが残念ながら今回その場所は発見できなかった。
更に本丸から北西に向かうと出丸と思われる場所があり土塁や石垣を確認する事ができた。
山頂から遺構を捜し歩くとこの城が如何に天然の要塞だったかが一目で解る場所となっている。