九州の観光情報サイト:Kyusyu.sky.net

肥前:勝尾城址(かつおじょうあと)

住 所 :佐賀県鳥栖市河内町
築城者 :渋河義俊
築城年代:応永三十年
形 式 :山城
遺 構 :石垣・堅掘・堀切・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和02年03月18日
  • 国指定史跡

歴史

勝尾城は応永三十年に渋河義俊が築城した山城だ。
この城は九千部山(くせんぶさん)の一角に位置し山城としては天然の要塞に相応しい場所に築城されているが、歴史上この城については不明な点が多く記録にあるのは渋川氏と少弐氏(しょうにし)が九州の交通の要所としてこの地域の争いを繰り広げると城主を度々替え最後は少弐氏の一族である筑紫氏が三代に渡り本拠地とした。
その筑紫氏も周囲の戦国大名と衝突を多く繰り返し所領を増やしていくが、天正十四年に起きた島津氏の九州制覇の際に島津軍の猛攻を受け勝尾城は落城した。
その後の筑紫氏は豊臣秀吉の命により転封となり勝尾城は廃城となった。

現在

現在の勝尾城址は城山として国指定にされており筑紫神社裏手から登る事ができる。
だが登山道は要塞と言われるだけの事はありすごく険しい道になっているので十分に準備をして登ることをお勧めする。
山頂やその途中に物見岩や現存石垣、堀切などの遺構が良好な形として残っている。
その遺構の中で特に石垣が注目されており当時の九州では最新の技術を駆使して造られた石垣だと言われている。
今現在も発掘調査が行われておりそ多くの出土品が出ており考古学者からも注目を集めている。

MAP