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筑前:宝満城址(ほうまんじょうあと)

住 所 :福岡県太宰府市北谷
築城者 :高橋鑑種
築城年代:16世紀半頃
形 式 :山城
遺 構 :無し
指定史跡:未指定
訪問日 :令和02年11月01日

歴史

宝満城は16世紀半頃に大友氏一族の高橋鑑種(たかはしあきたね)が宝満城・岩屋城の二城を築城したのが始まりだ。
永禄十年に鑑種が主家:大友宗麟(おおともそうりん)に叛き小倉に移封されると高橋紹運(たかはしじょううん)が二城の城主となった。
天正十四年に薩摩:島津氏が九州制覇を目指し北上すると岩屋城に攻め寄せ紹運が岩屋城に立て籠もり息子:統増(むねます)が宝満城で籠城するが岩屋城は奮闘むなしく落城、紹運は戦死すると統増は降伏し宝満城を開城する。
その後の宝満城は島津氏家臣:秋月種実(あきづきたねざね)の持城となるが豊臣秀吉の九州征伐で島津氏は秀吉に降伏し宝満城は廃城したと云われている。

現在

現在の宝満城は遺構等は全くなく宝満山山頂に麓の竈門神社(かまどじんじゃ)の上宮と巨大な岩石がある。
宝満城の場所も不明確で宝満山山頂と云う説と宝満山に隣接する仏頂山山頂付近とも云われている。
宝満山自体は登山者が後を絶えず人気スポットになっている為に福岡では有名な山のひとつである。
また近年は麓のある竃門神社にも多くの参拝客が押し寄せている。

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