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長門:櫛崎城址(くしざきじょうあと)

住 所 :山口県下関市長府宮崎町6-2
築城者 :内藤隆春
築城年代:永禄十二年
形 式 :平山城
遺 構 :復元天守台・石垣・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和02年08月15日

歴史

櫛崎城は文献によると永禄十二年に大内氏家臣:内藤隆春(ないとうたかはる)が築城し勝間田盛長(かつまたもりなが)を城代に置いたと云われている。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」で毛利氏は西軍総大将となるが、東軍の勝利に終わり防長二州に減封されると毛利輝元は本拠地である広島城 を出て萩城を築城し本拠を移すと、毛利秀元(もうりひでもと)は長府に入り櫛崎城を改修し長府藩の本拠となり雄山城(かつやまじょう)や長府城とも呼ばれるようになる。
だが元和元年の一国一城令により櫛崎城は改修後僅か十三年で廃城となると城の一部を陣屋として使用した。
その後も長府は秀元の子孫である長府毛利氏(ちょうふもうりし)として明治時代を迎えた。
江戸末期には攘夷(じょうい)により長府藩は外国船砲撃に備え櫛崎城址に砲台を用意し関門海峡の防衛に辺り新時代の幕を開ける事となる。

現在

現在の櫛崎城址は関見台公園(せきみだいこうえん)として再備され復元天守台や石垣、曲輪などが残されている。
復元天守台は公園の最高部に造られそこからは関門海峡を一望出来る絶景の場所となっている。
また公園周辺の住宅地には本物の石垣も残されており是非こちらの石垣も立ち寄って欲しい場所になっている。
更に本丸地にはクジラの模型をしたモニュメントが印象に残っている。

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