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長門:萩城址(はぎじょうあと)

住 所 :山口県萩市堀内500
築城者 :毛利輝元
築城年代:慶長九年
形 式 :平山城
遺 構 :天守台・石垣・堀
入場料 :大人 220円 / 小人 100円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成30年12月18日
  • 世界遺産
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

萩城は慶長九年に毛利輝元(もうりてるもと)が築城した城だ。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」で西軍総大将をつとめた輝元だったが徳川家康率いる東軍に惨敗すると所領八ヵ国の内、周防国と長門国の二ヶ国に大減封されこの地で新たに城を築いた。
城は日本海に面した萩の指月山(しづきやま)の山麓に本丸と二の丸を設け天守閣は五層の造りであった。また指月山に詰の丸を設けている。
萩城は慶長十三年に完工するが輝元は完工を前に入城している。その理由として輝元は慶長八年に関ヶ原の責任を取る形で家督を秀就に譲り後見人の立場に退いたが、それでも実権は輝元が握っていた為である。
その後も毛利氏の居城となったが、文久三年に毛利敬親(もうりたかちか)の藩主時代に幕府に無許可で藩庁を山口城に移すと萩城は役目を終えた。
そしてこの長州藩を中心として明治維新へと突入して行く。
明治時代の廃藩置県によって萩城は天守閣や櫓などの建物を破却しており現在の姿になった。

現在

現在の萩城址は指月公園(しづきこうえん)として整備されている。
ここの見所は城址自体に建物は残していないが、近隣の城下町には毛利家萩屋敷長屋が現存されており松下村塾など多くの遺構を残している。
どうしても城下町に目がいきがちだが萩城址も天守台や石垣、堀といった遺構が残っており天守閣再興の動きもある様だがそれはまだ先の話になりそうだ。
2015年には萩城址も含む萩市の観光名所が世界遺産に認定されており多くの方が来している場所である。
また指月山は国の天然記念物に指定されており原生林を楽しむ事ができる場所だ。

日本100名城スタンプ設置場所

本丸入口料金所

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