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日向:門川城址(かどかわじょうあと)

住 所 :宮崎県東臼杵郡門川町門川尾末5980
築城者 :伊藤祐堯
築城年代:文明年間
形 式 :平山城
遺 構 :空堀・曲輪
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成20年03月26日

歴史

門川城は文明年間に伊藤祐堯(いとうすけたか)によって築城されたと云われいる。
当時、塩見城日知屋城と共に「日向三城」と呼ばれていた。
豊後:大友氏への戦略上必要な為に築城した城で祐堯は三十六歳で家督を継ぐと一族の反勢力討伐に乗り出しこれをすべて撃破した。
そこで日向の守護職を求め京へ働きかけたが一族の土持氏が反発する。
康正二年にその土持氏を滅ぼして日向だけではなく九州全土に伊東氏の名を轟かせた。
その後も門川城は日向を代表する城であったが伊東氏は薩摩:島津氏と対立し、長きに渡って島津軍との戦いを強いられる事となる。
戦局は徐々に島津氏有利に傾き天正四年に伊東義祐が島津軍に大敗し豊後に逃亡すると門川城は島津氏の領土となる。
だが天正十五年に豊臣秀吉の九州征伐で門川一帯は高橋氏の領土となり元和元年に一国一条令により廃城となった。

現在

現在の門川城址は大半が竹藪となっており遺構全体を確認する事は難しくなっている。
本丸跡も同じく竹藪でさらに三の丸が畑になっていたがその畑から土塁や曲輪を確認する事ができた。

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