豊後:臼杵城址(うすきじょうあと)
住 所 :大分県臼杵市臼杵丹生島
築城者 :大友宗麟
築城年代:永禄五年
形 式 :海城
遺 構 :現存櫓・石垣・堀・曲輪
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成19年05月28日
築城者 :大友宗麟
築城年代:永禄五年
形 式 :海城
遺 構 :現存櫓・石垣・堀・曲輪
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成19年05月28日
歴史
臼杵城は九州の雄:大友宗麟(おおともそうりん)の居城として長らく栄え九州を代表する城の一つに数えられる。
永禄五年に宗麟は府内城から移動しこの地を本拠として構え築城を行った。
当時この地は丹生島と呼ばれる島になっており周りが海に囲まれた海城として難攻不落の城であった。
大友氏は九州の覇権をかけて薩摩:島津氏と戦が絶えなかったが天正六年に「日向耳川の合戦」で島津氏に大敗北を喫してしまうと力が急速に衰えていく。
そして天正十四年に臼杵城も島津の大軍に囲まれるが日本に最初の大砲として伝わったと言われる「国崩」で敵を驚かせ進撃を食い止め、城兵の奮闘等もあり豊臣秀吉の援軍が来るまで持ちこたえた。
宗麟死後、嫡男:義統は秀吉の九州征伐に従い豊後を安堵されたが文禄の役での失態から除封されてしまう。
臼杵城はその後に福原直高(ふくはらなおたか)・太田一吉(おおたかずよし)と城主をかえ関ヶ原の合戦後に稲葉氏が入封し 三十一の櫓が立ち並ぶ近世城郭に改修を行い以後稲葉氏の居城として明治時代を迎えた。
現在
現在の臼杵城址は石垣や堀・復元櫓門など多くの遺構が「臼杵公園内」に残されていた。
海城で有名な城址で「海に浮かぶ城」とまで言われたが今は街の中にあり本丸址から臼杵湾を見わたせないのが残念でならない。
二の丸跡地には稲荷神社が建てられ豊後一の城とよばれる雄大な城址と遺構を残している。
石垣や櫓門などの規模から近世城郭として栄えた事がよくわかり、有名な大友宗麟の居城として多くの方が見に来られていた。
続日本100名城スタンプ設置場所
臼杵市観光交流広場