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豊後:府内城址(ふないじょうあと)

住 所 :大分県大分市荷揚町4
築城者 :福島直高
築城年代:慶長六年
形 式 :平城
遺 構 :天主台・櫓・石垣・堀
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成21年10月18日
  • 日本100名城
  • 県指定史跡

歴史

府内城は慶長二年に豊臣秀頼の家臣で石田光成の妹婿:福原直高(ふくはらながたか)が強度な城を求めて大分川付近に築城を開始するが慶長四年に直高が石田光成側の人間として徳川家康から領地を没収され城は一部分を完成しながらも中止となった。
次に直高に代わり早川長敏(はやかわながとし)が入国するが慶長五年の「関ヶ原の戦い」で西軍方に味方をして敗退し戦後に改易となった。
慶長六年に竹中重利(たけなかしげとし)が入国し築城を再開させ慶長七年に完成させる。
だが竹中氏も非道を咎められ寛永十一年に日根野吉明(ひねのよしあき)が入封するが明暦二年に跡継ぎが無く日根野氏は一代で断絶した。
次いで松平忠昭(まつだいらただあき)が万治元年に入封し松平十代目で廃藩置県により府内城は廃城となる。
なお寛保三年に府内城は火災に遭い天守閣を含む大部分が焼失してしまうとその後天守閣は再建されなかった。

現在

現在の府内城址は天守閣部分は再建されてはいないが櫓や大手門などが復元されている。
西の丸跡地に大分文化会館が建てられており城址の雰囲気が崩れるのが残念だが堀や塀などは見応えがある。
櫓は地下まで造られて立派な姿をしており天守閣の構造は不明で天守台のみが遺構として残されている。

日本100名城スタンプ設置場所

大手門広場

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