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豊後:角牟礼城址(つのむれじょうあと)

住 所 :大分県日田市亀山町
築城者 :森朝通
築城年代:弘安年間
形 式 :山城
遺 構 :石垣・井戸・土塁・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和03年02月16日
  • 国指定史跡
  • 続日本100名城

歴史

角牟礼城は弘安年間に森朝通が豊前からの侵攻を防ぐ為に築城した。
戦国時代には豊前:大内氏と豊後:大友氏の争いが起こり激化この地は要塞の地でもあった為に玖珠(くす)の群衆により堅固に改築された。
天正十四年に薩摩:島津義弘は「耳川の戦い」で大友氏を粉砕すると豊後への侵攻を開始し大友氏の城を次々に落城させた。
島津氏の軍勢はこの地にもなだれ込んだが角牟礼城で籠城戦に持ち込んだ玖珠郡衆の前に勇猛な島津軍でさえ落城させる事ができなかった。
その後、文禄の役で失態を犯した大友義統(おおともよしむね)は改易となり日田郡には毛利高政(もうりたかまさ)が日隈城(ひのくまじょう)に入城し管轄化された。
慶長六年に「関ヶ原の戦い」で西軍の将:来島康親(くるしまやすちか)がこの地に入封するが 格式が大名ではない為に角牟礼城には入城する事が出来なかった。
そこで山麓に陣屋を築くと角牟礼城は廃城となった。

現在

現在の角牟礼城址は角牟礼山に多くの遺構を残している。
城址には麓の三島公園内にある三島神社の裏から延びる山道と三の丸まで車道が通っており、楽に行くなら車道を通る事をお勧めする。
城址の遺構としては石垣や門跡、櫓跡などが良好な形で残り駐車場にある説明板に目を通してから進むと分かり易く良いだろう。
また大手門から見る下界の景色はとても綺麗だ。
難攻不落の城として広く知られるこの城の造りを是非堪能して頂きたい。

続日本100名城スタンプ設置場所

豊後森藩資料館

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