豊後:日隈城址(ひのくまじょうあと)
住 所 :大分県日田市庄手601
築城者 :宮木豊盛
築城年代:文禄三年
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・石碑・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和03年02月16日
築城者 :宮木豊盛
築城年代:文禄三年
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・石碑・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和03年02月16日
歴史
日隈城は文禄三年に玖珠・日田郡の守代:宮木豊盛(みやぎとよもり)によって築城された。
文禄四年には毛利高政(もうりたかまさ)が城代となり高政の父:友重の居城となった。
高政は慶長元年に日隈城を大改修し五層六階の大天守閣を築いたが関ヶ原の戦いで西軍方に味方をし敗退するも所領は安堵された。
その後、佐伯へと移封されるも引き続き日隈城も預かり城代を置いた。
そして元和元年に一国一条令により廃城となった。
現在
現在の日隈城址は「亀山公園」として整備され丘の山頂に日の隈神社がありそこが本丸跡地になっている。
遺構としては石垣と神社の境内の横に石碑がある程度だが石垣の状況は中々良好な形で残っていた。