肥後:富岡城(とみおかじょう)
住 所 :熊本県天草郡苓北町富岡2240
築城者 :寺沢広高
築城年代:慶長十年
形 式 :山城
遺 構 :復興櫓・石垣・堀切
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年09月27日
築城者 :寺沢広高
築城年代:慶長十年
形 式 :山城
遺 構 :復興櫓・石垣・堀切
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年09月27日
歴史
天草諸島一帯は元来、南肥後の大名:小西行長(こにしゆきなが)が治めていた。
だが関ヶ原の戦いで行長は改易されると天草領は唐津城城主:寺沢広高(てらざわひろたか)が移封し、富岡の地に新城を築城し慶長十年に完成した。それが富岡城である。
その後も寺沢氏の主城だったが寛永十四年に世に有名な「島原の乱」が勃発するとこの富岡城も一揆軍に攻められる。
富岡城の軍は唐津城からの援軍と合流し大激闘の末に死守する事に成功する。
島原の乱は幕府軍によって鎮圧されたが、唐津藩二代目藩主:寺沢堅高(てらさわかたたか)は一揆勃発の責任を取らされ改易されると、その後自害し寺沢氏は断絶してしまう。
そして富岡城には山崎家治(やまざきいえはる)が入城するも三年で転封となり、当面の間この地は天領となった。
寛文四年になると戸田忠昌(とだただまさ)が富岡城に移封されるが忠昌の進言により、寛文十一年に富岡城は廃城となり天草領は天領となった。
現在
現在の富岡城は復興櫓など多くの遺構を残している。
この城から見る天草諸島は素晴らしい場所でありまさに絶景である。
本丸跡地にはビジターセンターが建てられており天草の歴史をみる事ができる。
そのビジターセンター周辺には復興石垣や堀切が確認でき、現在も発掘調査が行なわれていた。
今後どの様な形で復興されるか楽しみだ。