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肥後:宇土城址(うとじょうあと)

住 所 :熊本県宇土市神馬町280
築城者 :小西行長
築城年代:天正十七年
形 式 :山城
遺 構 :石垣・土塁・堀
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和02年02月15日
  • 国指定史跡

歴史

宇土城は天正十五年に起きた薩摩島津氏討伐の九州征伐や、同十六年の「肥後一揆」で活躍した豊臣秀吉の家臣:小西行長(こにしゆきなが)が同十七年に築城した。
天正十六年に南肥後国へ入国した行長は当初、宇土古城を本拠としたが同十七年に宇土城を築城し三層天守を持つ雄大さを誇っていた。
その後も文禄の役や慶長の役に出陣して活躍した行長だが慶長五年の「関ヶ原の戦い」では石田三成側の西軍に味方し大敗すると打ち首になり南肥後は北肥後大名の加藤清正の領土となった。
清正は宇土城を隠居の城にしようと考え修繕するが途中で清正が死去したことに伴い宇土城は破却された。

現在

現在の宇土城址は「歴史公園」として整備されており石垣や堀などが残っている。
だが遺構としては公園内にある小西行長の銅像が目立つが隣接している宇土高校によって多くの遺構がなくなっていた。
近くにお墓もあり城址の雰囲気が楽しめない場所でもあるが宇土高校側に多少の石垣を確認する事ができた。

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