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肥後:隈本城址(くまもとうじょうあと)

住 所 :熊本県熊本市中央区古城町3
築城者 :鹿子木親員
築城年代:明応年間
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年02月22日

歴史

隈本城は享禄年間時代にこの地で権力を誇っていた鹿子木親員(かのこぎちかかず)が当初千葉城に入城するが規模が小さい為に茶臼山丘陵西南部に築城したのが始まりだ。
だが隈本城は肥後国の主城であったため外敵が多く鹿子木氏は天文二十年に豊後の大友宗麟に追放され隈本城は城親冬(じょうちかふゆ)が城主となる。
更に宗麟は肥後の守護:菊池氏を滅ぼし肥後の実権を手中に収める。
だが勢力を延ばす肥前:龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)と北上を開始した薩摩:島津義久と大友宗麟による三氏の衝突が始まると島津氏が隈本城を確保し、更に進撃を進め龍造寺氏と阿蘇氏を滅ぼし肥後を統一する。
島津氏は大友宗麟の領土豊後にまで軍を進めるが宗麟から援軍要請を受けた豊臣秀吉が九州征伐の軍を起こし島津義久を降伏させ隈本城には城久基が入城する。
その後も肥後は混乱が続くが秀吉の子飼い加藤清正を隈本城に入城させ混乱を収拾させた。
関ヶ原の戦い後に加藤清正は新城:熊本城を築城すると隈本城は新城二の丸の一部となってしまう。

現在

現在の隈本城址は「古城堀端公園」となっており石垣などが残っている。
遺構としては石垣や堀が確認できるが横に日本三大名城熊本城が聳え立つので忘れ去られた城址の様だ。

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