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肥前:島原城(しまばらじょう)

住 所 :長崎県島原市城内1丁目1183-1
築城者 :松倉重政
築城年代:寛永元年
形 式 :平城
遺 構 :復興天主閣・模擬櫓・石垣・堀
入場料 :大人 550円 / 小人 280円
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成18年09月25日
  • 日本100名城
  • 県指定史跡

歴史

島原城は大坂夏の陣で武功をあげた松倉重政(まつくらしげまさ)が有馬晴信(ありまはるのぶ)の領土であった肥前日野江に入封され 日野江城に入城するが、交通の不便さや一国一城令により日野江城を廃城し新たに築城した城だ。
だが松倉重政、勝家親子は暴政を振い農民から不信感を募ると更にキリスタン弾圧を行った為に寛永一四年に「島原の乱」が勃発してしまう。
反乱は翌十五年に終結するが勝家は反乱の責任を取る事となり大名としては斬首と言う厳しい罰刑が科せられた。
その後に江戸幕府から信頼が厚かった高力忠房(こうりきただふさ)が浜松より移封となる。
忠房は島原の乱後の荒野と化した島原の復興を命じられており、見事島原を復興させたが二代目:隆長の時代に暴政を振った事により寛文八年に改易となる。
その後は松平氏、戸田氏と藩主が変わり明治時代を迎えた。

現在

現在の島原城は五層の天守閣や櫓などが復元させており島原の観光スポットになっている。
また石垣や堀は当時のままでこの城がどれだけ防衛に優れているかはすぐに確認できた。
この規模の城を築城するのにどれだけ領民が苦しみその結果歴史的動乱が勃発したと思うと凄く考えさせられる。
最上階からは晴天時には雲仙普賢岳を観る事が出来る。
歴史資料館ともなっており島原の乱の詳細が説明されている。
城下町には武家屋敷が残っており城以外にも見所満載の場所になっている。

日本100名城スタンプ設置場所

島原城受付窓口

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