肥前:筑紫氏居館址(ちくししきょかんあと)
住 所 :佐賀県鳥栖市牛原町
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :居館
遺 構 :石垣・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和02年03月18日
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :居館
遺 構 :石垣・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和02年03月18日
歴史
筑紫氏居館は築城者や築城年代は不明だが、少弐氏(しょうにし)一門の筑紫満門(つくしみつかど)が明応六年に 勝尾城に入城し約九十年間筑紫氏の居城として栄えると筑紫氏時代に築城されたと考えられている。
筑紫氏はこの居館と勝尾城を中心とし勢力を増していくが天正十四年に島津氏が九州制覇を目指し北上するとこの地に侵攻してくる。
筑紫氏は奮闘するも島津氏の猛攻を受け勝尾城は落城する。
筑紫氏当主:広門(ひろかど)は一時幽閉されるが、後に再起すると勝尾城を奪還に成功する。
翌年には豊臣秀吉が大友宗麟(おおともそうりん)の救援要請を受け九州征伐の軍を起こすと、広門は秀吉の軍に加わり功をあげる。
この功により広門は筑後国の上妻群に移封すると勝尾城と筑紫氏居館はその歴史に幕を閉じた。