肥前:基肄城址(きいじょうあと)
住 所 :佐賀県三養基郡基山町小倉
築城者 :天智天皇
築城年代:天智天皇四年
形 式 :朝鮮式山城
遺 構 :城壁・石垣・水門・土塁
指定史跡:国指定特別史跡
訪問日 :平成31年01月03日
築城者 :天智天皇
築城年代:天智天皇四年
形 式 :朝鮮式山城
遺 構 :城壁・石垣・水門・土塁
指定史跡:国指定特別史跡
訪問日 :平成31年01月03日
歴史
基肄城は天智天皇二年に唐・新羅の前に敗色濃厚だった友好国:百済を救出する為に大和朝廷は軍を派遣し白村江で百済と連合として唐・新羅に戦いを挑むも大敗北を喫してしまう。
そして新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇が天智天皇四年に築城したのが基肄城である。
他にも大野城址や長門城を築城して防衛線を張り巡らせるも結局新羅による日本侵攻は行われる事なく約二百年後に廃城となった。
ちなみに築城に関しては百済の亡命貴族が助力したと伝えらており朝鮮式山城として最古の城址でもある。
現在
続日本100名城スタンプ設置場所
基山町民会館1階受付