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筑後:三原城址(みはらじょうあと)

住 所 :福岡県三井郡太刀洗町山隈1668-23
築城者 :三原氏
築城年代:不明
形 式 :平城
遺 構 :土塁・内堀・外堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成28年05月03日

歴史

三原城は築城年代など詳細は不明だ。
歴史にその名が出てきたのは大同四年で三原弾正時勝がこの地に居を構えていたと記されている。
鎌倉時代になると原田種雄(はらだたねお)が秋月氏を名乗りこの地で豪族となると種朝が三原姓を継ぎ十三代当主となる。
南北朝時代には足利氏と戦になるが三原氏は敗れ三原城は落城してしまう。
その後に三原氏は大友氏の配下となるが天正六年の「耳川の戦い」で大友氏が島津氏に大敗し勢力が大幅に縮小すると島津氏の侵攻を止めるべく三原紹忍入道重種は名将:高橋紹運(たかはしじょううん)と共に岩屋城に籠城し奮戦するが最後は討ち死にした。
だが紹運の戦いぶりはその後、称賛される事となる。

現在

現在の三原城址は本郷の中心部に石碑と案内板が建てられている。
その案内板の場所がある民家の裏庭に城址が残っている様だが住民の方が留守だった為に許可を頂く事は出来なかった。
文献では土塁や、堀、本丸跡が残っている模様だ。

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