筑前:飯盛城址(いいもりじょうあと) 住 所 :福岡県筑紫野市 築城者 :不明 築城年代:不明 形 式 :山城 遺 構 :堀切 指定史跡:未指定 訪問日 :平成21年05月01日 歴史 飯盛城は築城者や築城年代は不明だが天拝山(てんぱいさん)山頂にある天拝山城の支城目的で築城された。 肥前神埼:筑紫広門(つくしひろかど)が勢力を誇っていた天正年間に広門の家臣:帆足弾正(ほあしだんじょう)が天拝山城を居城にしており、筑紫氏の戦略上重要な城だったが天正十四年の薩摩:島津氏の九州制覇の際に落城してしまった。 その後は豊臣秀吉の九州征伐で島津氏は降伏しこの地帯は秀吉の管轄となってしまう。 現在 現在の飯盛城址は天拝山の中腹に堀切遺構が残っている。 天拝山の8合目辺りから小さな山道を通って行けるようになっており、手頃な城址として今ではハイキングの休息所などに使用されている。 この場所に城址があること自体に興味を持つ方は少ないようだ。 MAP