豊前:小倉城(こくらじょう)
築城者 :緒方氏
築城年代:13世紀半頃
形 式 :平城
遺 構 :復興天守閣・櫓・石垣・堀
入場料 :大人 350円 /中高校生 200円/ 小人 100円
指定史跡:未指定
訪問日 :令和元年12月28日
歴史
小倉城は13世紀半頃に築城されたと云われているが正式な年式は定かではない。
文永年間に緒方大膳亮帷重(おがただいぜんのすけこれしげ)が居城していたのが初見である。
その後は大友、毛利氏と豊前地方の重要拠点として略奪戦が相次いだが、豊臣秀吉の九州征伐後は秀吉の家臣:森勝信(もりかつのぶ)、勝永親子が城主をつとめ姓も森氏から中国地方の雄:毛利氏の姓に改名する。
だが関ヶ原の戦いで毛利親子が西軍に加担し敗退すると改易されてしまい細川忠興(ほそかわただおき)が豊前に入国する。
忠興は当初中津城を居城としたが中津城が小規模であり交通も不便の為に本土と九州を結ぶ要衝の地である小倉城を大改増築した。
築城に七年の歳月を費やし慶長十二年に完成した小倉城は外人宣教師の土木技術が用いられ「南蛮造り」と呼ばれる独特の建築法でもあった。
後に細川氏が肥後へ移ると小笠原氏が入城するも天保八年の火災により本丸御殿と天守閣が焼失してしまう。
更に慶応二年の「第二次長州征伐」で長州藩に敗れた小倉藩は付火によって小倉城を焼失し熊本城に撤退した。
翌三年に長州藩と和解が成立するが小倉城は焼却されている為に藩庁は香春にあった奉行所へと移った。
現在
現在の小倉城は小倉のシンボルとして中心部に位置している。
天守閣は昭和34年に復興天守閣として再現されており城内は歴史資料館となっている。
今では「南蛮造り」よりも巌流島の戦いで宮本武蔵と佐々木小次郎の逸話にでてくる事の方が有名になっている。
城内にも巌流島の戦いの逸話が残されている。
天守閣は高さ28.7m、石垣の高さ18.8mと言われ小倉城の代名詞である石垣は切石を使わず、足立山から切り出した自然石が大部分で細川忠興はこの造りをかなり自慢していた様だ。
小倉城内に在る八坂神社では毎年7月に「全国三大祇園」に数えられる「小倉祇園太鼓」の祭りがあり日本の祭りでは珍しく女人禁制ではない。
小倉城を訪れるなら是非7月に訪れ祭りも楽しんで欲しい。
続日本100名城スタンプ設置場所
小倉城天守内受付