筑前:福岡城址(ふくおかじょうあと)
築城者 :黒田長政
築城年代:慶長六年
形 式 :山城
遺 構 :多聞櫓・潮見櫓・祈念櫓
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成30年12月14日
歴史
福岡城は慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」で戦功をあげた黒田長政(くろだながまさ)が豊前より入国し慶長六年から約七年の歳月を費やして築城した。
長政は当初名島城(なじまじょう)を拠点としていたが城は手狭で交通の便も悪かった為に新城を築くことを決意する。
築城に関しては石垣積の名人と謳われた重臣野口一成(のぐちかずしげ)の指示により高さ十五mにも及ぶ 雄大な石垣を造り長らく福岡の繁栄を支える事となる。
また黒田如水・長政親子は築城の名人とも呼ばれ完成した福岡城は広大な居城として九州屈指の城となる。
更に築城された場所は元来福崎と呼ばれていたが黒田氏ゆかりの地にちなみ福岡と改名した。
だが長政の死後に跡を継いだ二代目:忠之(ただゆき)は側近政治を行う様になると、家老:栗山大善と対立し大膳は「謀反の疑いあり」と幕府に訴える事件が起こる。
これは「黒田騒動」とも呼ばれ日本三大お家騒動の一つに数えられている。
この訴えにより黒田氏は改易の危機に立たされるが父:長政による徳川幕府への長年による功績を考慮され改易は免れる事となる。
その後の福岡城は幕末時代の十一代藩主:長博によって城を改修し十二代藩主:長知(ながとも)の時に明治時代を迎えた。
現在
現在の福岡城址は舞鶴公園内として整備されており市内中心部に位置している。
だが福岡の発展の古となった割には知名度が低く近場にある大濠公園(おおほりこうえん)などの方に足を運ばれる方が大半だ。
しかし遺構はとても見所が多く現存櫓や復元櫓、三つの天守台等が残されている。
また黒田氏菩提寺:崇福寺には福岡城から移行された山門の遺構が残っている。
この福岡城の遺構から規模が巨大で築城の名手と謳われた黒田親子の凄さを顧みる事ができる。
この城址は桜の名所として有名で花見シーズンには多くの見物客で賑わい、また毎年11月に「おおほりまつり」がNHK福岡放送局を会場に行われ黒田二十五騎行列や稚児行列などの催物を行っている。
日本100名城スタンプ設置場所
福岡城むかし探訪館
三の丸スクエア
航路館跡展示館