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筑前:名島城址(なじまじょうあと)

住 所 :福岡県福岡市東区名島1丁目
築城者 :立花鑑載
築城年代:天文年間
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・堀切・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和元年06月28日

歴史

名島城は天文年間に立花鑑載(たちばなあきとし)が築城した城で当初立花山城の支城目的で築かれた。
天正十五年に起きた豊臣秀吉の九州征伐後に小早川隆景(こばやかわたかかげ)が筑前・筑後・肥前の三国を与えられ入封すると水軍を編成できる場所として名島城の大改修を行う。
元来隆景は中国地方の雄:毛利氏の重臣であったが秀吉は九州で異変があった際の備えて毛利氏が隆景を救援出来るよう筑前に配置した。
隆景はその後、秀吉の甥で後に関ヶ原の戦いで裏切りを起こす秀秋(ひであき)を養子に迎えてそ家督を譲り隠居した。
関ヶ原の戦い後に秀秋は備前:岡山城に移り黒田長政(くろだながまさ)が入城すると手狭に感じた長政は新城として福岡城を築城し名島城は廃城となった。

現在

現在の名島城址は名島神社が建っており黒田氏が福岡城築城の際に名島城の石塁や櫓を使用した為に遺構は殆ど残っていない。
本丸跡地に石塁や残壁、曲輪などが多少確認できる程度だ。
博多を城下として栄えた城址だけに多少の物足りなさが残るが福岡城址地に名島城の移築門が残されており、また黒田氏の菩提寺(ぼだいじ):崇福寺(そうふくじ)には唐門が現存として残されている。

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