安芸:広島城(ひろしまじょう)
築城者 :毛利輝元
築城年代:天正十七年
形 式 :平城
遺 構 :復元天守・櫓・櫓門・石垣
入場料 :大人 370円 / 高校生 180円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成30年10月14日
歴史
広島城は天正十七年に毛利輝元(もうりてるもと)が築城した城だ。
元来毛利氏は堅城であった吉田郡山城を拠点としていたが、豊臣秀吉の統治時代に城は防衛機能に優れた建物から、国の政治や経済を中心として機能する建物に替る仕様になり輝元も大阪城や聚楽第(じゅらくだい)を見学し新城の必要性を痛感する事となる。
そこで輝元は瀬戸内海に面する太田川河口の三角州に新城の築城を決め天正十七年に築城を開始する。
当時この地は「最も広い島地」だった事から慶長四年の新城完成頃に「広島」と名付けたといわれている。
だが翌年勃発する「関ヶ原の戦い」で輝元は西軍の総大将に担ぎ上げられ敗北すると毛利氏は大減邦を命じられ萩城に移り広島城は福島正則が入城する。
正則は広島城の改築や城下町の整備を行うが、余りにも大規模な改築に徳川家康は激怒し慶長十四年に正則は謹慎を言い渡される。
更に元和三年に起きた大洪水の修築を同五年に徳川幕府の許可を得ずに着工した事で武家法度を破ったとみなされ、福島氏は改易となり正則は信濃国に転封させられる。
福島氏が改易となると浅野氏が入城し約二百五十年、第十二代まで浅野氏の居城として使用され明治時代を迎える事となる。
昭和二十年八月六日に太平洋戦争による原子爆弾が広島に投下されると広島城は跡形もなく焼却されるが、同二十六年に木造天守が復興し現在まで他多くの遺構が復元されている。
現在
現在の広島城は中央公園として整備されている。
実際の築城当時は五層の天守を持つ巨大な城だったが太平洋戦争で多くの建物は消失し現在は天守閣や櫓が復元されている。
だが当時からの遺構は堀の周辺を固める石垣やその水掘りだけの様だ。
今では広島のシンボルとなっており多くの方が来城されている。
城の中は資料館となっており広島城の歴史を観る事ができる。
日本100名城スタンプ設置場所
広島城天守閣内ミュージアムショップ