近江:安土城址(あづちじょうあと)
築城者 :織田信長
築城年代:天正四年
形 式 :平山城
遺 構 :天主台・石垣・曲輪
指定史跡:国特別指定史跡
入場料 :大人 700円 / 小人 200円
訪問日 :平成31年04月06日
歴史
安土城は天正四年に織田信長が築城した豪華爛漫な城だ。
尾張の小大名だった信長は天下布武を掲げ今川氏、斉藤氏、浅井氏、武田氏を降し天下を略掌握していた。
そのため拠点だった岐阜城より京に近く琵琶湖の利便性等を考慮しこの地に巨大な新城を築城した。
当時安土城は築城の場所である安土山の横にまで琵琶湖が広がり南方のみが開かれている地形であった。
信長は築城の総奉行に家臣:丹羽長秀(にわながひで)を指名し城は築城開始から三年後の天正七年に五層七階の天主閣や本丸などが完成した。
特に天主閣は地下一階から地上六階の造りでその高さは約32mと膨大な高さを誇っていた。
後にこの安土城の築城が近大城郭の礎となる。
だが天正十年に西国:毛利氏討伐のため信長は本能寺に在中していたが急遽家臣:明智光秀が襲来し信長は自刃する事となる。これが有名な「本能寺の変」である。
その後安土城は明智氏の残党によって焼失すると信長の嫡孫秀信(ひでのぶ)が二の丸を中心に機能していたが、天正十三年に豊臣秀吉の養子:秀次が八幡山城を築城するとその役目を終え廃城になったと伝わっている。
安土城の資材は慶長七年に井伊直継が彦根城を築城の際に使用された。
現在
現在の安土城址は安土山に石垣等の遺構が残されている。
信長が築城したこの城址の石垣は膨大な数を誇りその殆どが現存されているものだ。
入口を通過すると大手道と呼ばれる石段を目の当たりにするがその距離に圧倒される。
大手道を登り切ると天主跡地に着くのだがその石垣や縄張りの量に驚愕する事だろう。
二の丸には信長の本廟があり本丸跡地には天主台跡が残されている。
そして帰路ルートには摠見寺仁王門や、摠見寺三重塔が残されておりこの2つの建造物が安土城の唯一の遺構として残されている。
「Kyusyu.sky.net」では多くの城を訪問したがこれ程多くの石垣は中々お目にかかれない城跡だ。
日本100名城スタンプ設置場所
安土城跡
安土城郭資料館
安土城天主信長の館