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美濃:岐阜城(ぎふじょう)

住 所 :岐阜県岐阜市天主閣18
築城者 :二階堂行政
築城年代:建仁元年
形 式 :山城
遺 構 :模擬天守・石垣・土塁
入場料 :大人 200円 / 小人 100円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成31年04月29日
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

岐阜城は建仁元年に二階堂行政(にかいどうゆきまさ)が築城した城だ。
築城当時は砦程度の規模だったが二階堂行藤が死去するとこの砦も廃城と化した。
室町時代になり美濃守護代:斉藤利永(さいとうとしなが)が砦を修復し稲葉山城として居城するようになると天文十年に一介の油商人である斉藤道三(さいとうどうさん)が下剋上で成り上がり美濃守護大名:土岐頼芸(ときよりあき)を追放し稲葉山城主となる。
その後、道三は尾張:織田信秀と戦い不落の要塞稲葉山城を要する道三が信秀を敗走させる。
しかし弘治二年に息子:義龍と長良川で戦い道三は討ち取られ戦死してしまうと婚姻関係にあった織田信長は美濃攻略に動き出す。
永禄四年に義龍は急死し息子:龍興が跡を継ぐと同年に信長は再度美濃攻めを行うが名城稲葉山城や名将:竹中半兵衛を擁する龍興の前に信長は敗走する。
だが永禄十年、信長により調略された西美濃三人衆の裏切で龍興は城を捨て美濃から脱国し遂に稲葉山城は信長により落城する。
信長は本拠地を稲葉山城に移すと城の名を岐阜城と改めこの名城から全国統一を目指す事となった。
だが天正十年の「本能寺の変」によって信長が倒れると三男:信孝により岐阜城は混乱を生じる事になるが信孝は後継者争いに敗れ自刃する。
その後岐阜城は池田氏、羽柴氏、織田氏と城主をかえる。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」で岐阜城城主:織田秀信は西軍方につくも東軍に攻められ岐阜城を開城する。
そうして関ヶ原の戦い後に東軍総大将:徳川家康は岐阜城を廃城とし新たに加納城(かのうじょう)を築城させた。
加納城築城時に岐阜城の天守も移築され名城岐阜城は歴史から姿を消した。

現在

現在の岐阜城は金華山山頂に模擬天守や櫓、石垣などの遺構を残している。
金華山山頂まで登山で登城も可能だが麓よりロープウェイが使用出来るのでロープェイを使用すると山頂まで容易に行く事が可能だ。
山頂から望む景観は別格で岐阜市内は勿論、名古屋市内まで一望出来る絶景スポットだ。
山麗部には現在信長の館址が発掘途中で今後再建される事に期待がかかっている。
山頂から金華山を徒歩で下山したが急勾配な岩山登山道だった。岐阜城は廃城の際に資材の殆どは加納城築城に充てられているが 当時の人はこの岩場を通り資材を降ろしたのだと考えると頭が下がる思いだ。

日本100名城スタンプ設置場所

岐阜城資料館内

岐阜城関連サイト

岐阜市漫遊

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