筑前:有智山城址(うちやまじょうあと)
住 所 :福岡県太宰府市内山
築城者 :少弐氏
築城年代:嘉禄年期
形 式 :朝鮮式山城
遺 構 :石塁・空堀・土塁
指定史跡:未指定
訪問日 :平成21年04月22日
築城者 :少弐氏
築城年代:嘉禄年期
形 式 :朝鮮式山城
遺 構 :石塁・空堀・土塁
指定史跡:未指定
訪問日 :平成21年04月22日
歴史
有智山城は筑前の雄:少弐氏(しょうにし)の居城として築城し栄えた城だ。
鎌倉時代に二代将軍源頼家は家臣の武藤小次郎資頼(むとうこじろうすけより)に太宰少弐(しょうに)に命じ資頼は「少弐」の姓を名乗るようになった。
少弐氏は筑前に勢力を誇ったが永享五年に周防:大内氏との筑前争いに敗れ少弐満貞(しょうにみつさだ)が敗死してしまうと、少弐氏は対馬の宗氏を頼って落ち延び少弐政資の時に豊後:大友氏の力を借り、再び大内氏に対抗し見事筑前を奪回し有智山城(うちやまじょう)に帰還した。
少弐氏にとって実に六十年振りの復興でもあった。
だが明応三年に大友氏で大友政親と子の親宗の争いが勃発し政親が殺害されると、大内氏は再び筑前に侵略すると少弐氏は徐々に衰退し最後は家臣の裏切りにあった少弐高経(しょうにたかつね)が明応六年に自害、少弐氏は十一代:二百三十年の幕を閉じた。
現在
現在の有智山城址は二重の土塁と空堀が長く残っていた。
土塁は幅5m、高さ6m、長さは100mもあり空堀は幅10m、深さ6mと大規模な城だった事が伺える。
この城址は探すのが大変で途中までは案内板があるが宝満山登山道入り口の竈神社(かまどじんじゃ)から小道に入りそこから「うさぎ道」と呼ばれる登山道に入り城址まで進むのだがこの様な場所に城址があるのかと思う程だ。
だが非常に良好な形を残している遺構は必見だ。
有智山城址はかなり雑木林の中にある為に夏場はそれなりの用意をして行く事をお勧めする。