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肥前:木山城址(きやまじょうあと)

住 所 :佐賀県三養基郡基山町宮浦2166-1
築城者 :今川了俊
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :連続堀切・土塁・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :平成31年01月04日

歴史

木山城は築城年代など不明だが史料には南北朝時代に九州探題:今川了俊(いまがわりょうしゅん)が 幕府の拠点:「城山御陣」として本陣を構えた城で了俊が築城したと云われている。
文明十年には少弐政資(しょうにまさすけ)がこの木山城に立て篭もり大内氏と戦うが敗れてしまう。
その後、延徳元年や明応六年にもこの木山城で政資は大内・渋川の連合軍と戦っている。
政資は劣勢の中で打開策を見出そうとするも家臣から裏切られ自害する事となる。

現在

現在の木山城址は基山の山頂に四重の堀切などを残している。
この場所の付近には国特別指定史跡の基肄城址が残っており、 当城山頂にも基肄城址の石碑が残っており木山城より基肄城址と勘違いしてしまう。
山頂付近まで車で登場可能でそこから徒歩で草スキー場を登り山頂まで行けるが、このスキー場はかなり急勾配なので覚悟を決めて登って貰いたい。
山頂は四重の堀切「芋の雁木」や土塁、曲輪が良好な形で残っており山頂から筑後平野や福岡市も確認が出来るほど素晴らしい場所となっている。
この地に来たら基肄城址と共に散策を楽しみたいが、平成30年に当地を集中豪雨が襲っており麓の基肄城址水門からの登山コース「史跡めぐりコース」は現在封鎖されている。

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