豊後:佐伯城址(さいきじょうあと)
住 所 :大分県佐伯市字城山76番地1
築城者 :毛利高政
築城年代:慶長十一年
形 式 :平山城
遺 構 :現存櫓門・天守台・石垣・曲輪
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成19年02月12日
築城者 :毛利高政
築城年代:慶長十一年
形 式 :平山城
遺 構 :現存櫓門・天守台・石垣・曲輪
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成19年02月12日
歴史
佐伯城は「関ヶ原の戦い」で功績をあげた毛利高政(もうりたかまさ)が慶長七年に日隈城より栂牟礼城(とがむれじょう)に入城したが主険阻な山城である為に高政はこれを廃し新たに築城を行い約三年後の慶長十一年に完成した。
当時二万石の佐伯城だったが八幡山山頂に築城された城は三層からなる天守閣と多数の櫓や門があり築城は困難を極めたと云われている。
佐伯城は南北に羽を広げた形をしたことから別名、鶴屋城・鶴ヶ城・鶴城等とも呼ばれていたが山城だった為に次第に不便となり寛永十四年に城の麓に三の丸を居館として築いた。
毛利氏の居城として明治時代まで栄えたが廃藩置県により廃城となる。
毛利高政は四国地方の覇者である毛利氏とは無縁の続柄で森高政であったが毛利輝元に気に入られると兄弟の契りを結び一族は「毛利氏」を称して改姓した。
現在
現在の佐伯城址は「城山歴史公園」として整備され城山の山頂には多くの遺構が残っている。
三層天守閣があった城址だけに遺構の石垣は立派な物で2万石の城とは到底思えない。
また登山道入り口には現存の櫓門や山頂には天守台が残っており麓には城下町も残されていた。
山頂の城域自体はそこまで広くはないが難攻不落の堅城だと一目で思う事が出来る程の遺構が残っている。
続日本100名城スタンプ設置場所
佐伯市歴史資料館
佐伯市城下町観光交流館(佐伯市歴史資料館が休館日のみ押印可)