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播磨:御着城址(ごちゃくじょうあと)

住 所 :兵庫県姫路市御国野町
築城者 :小寺政隆
築城年代:永正十六年
形 式 :平城
遺 構 :堀・土塁
指定史跡:無し
訪問日 :平成27年10月23日

歴史

御着城は永正十六年に播磨守護赤松氏家臣:小寺政隆(こでらまさたか)が築城した。
当時の赤松氏は浦上氏と争っており、その浦上氏への備えとして当城を築城し小寺氏の居城となった。
だが享禄三年に御着城は村上氏の猛攻に晒され落城し政隆は自害する。
しかし翌年の「大物崩れの戦い」で赤松氏が勝利し浦上村宗(うらがみむらむね)は打ち取られ御着城は政隆の嫡子:則職(のりもと)が城主となる。
天正五年、織田信長による中国地方攻略のため羽柴秀吉(はしばひでよし)が播磨に侵攻すると、 則職の息子:政職は一時秀吉に味方するが織田氏家臣:荒木村重(あらきむらしげ)が離反すると三木城主:別所氏と共に正職も村重に同調し毛利氏に寝返るが、秀吉率いる織田軍の前に一敗地を喫し天正八年、御着城は遂に落城した。

現在

現在の御着城址は城址公園となっている。
公園内に石碑や黒田孝高の祖父:重隆の墓所があるが遺構らしき物は見当たらなかった。
近くの案内板では土塁が存在するみたいだが発見には至らなかった。
大河ドラマ「軍師官兵衛」でも良く登場する城として知名度が高い城址だ。

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