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美作:神楽尾城址(かぐらおじょうあと)

住 所 :岡山県津山市上田邑
築城者 :宇都宮教貞
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :土塁・曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和04年04月10日

歴史

神楽尾城は築城年代が不明だが、正平年間に宇都宮教貞が在城していたと云われている。
尼子氏が美作へ侵攻した戦国時代には、山名氏兼が居城している。
その後、尼子氏は毛利氏の猛攻を受け、永禄九年に尼子氏は滅ぼされてしまい美作も毛利氏の勢力下に置かれると、神楽尾城も毛利氏の傘下となった。
次に織田信長に味方した宇喜多氏が美作へ侵攻すると、天正七年に神楽尾城は落城した。
天正十二年に毛利氏が美作から完全撤退すると、美作は宇喜多氏の配下となったが、その後の神楽尾城は不明のままだ。

現在

現在、神楽尾城址は神楽尾山の山頂や中腹に遺構を残している。
城址へは、神楽尾公園から登山道が延びている。
途中幾つかの分かれ道があるが、標識があるので迷うことなく進む事が出来る。
この城址の見所は中腹にある沼田堀と呼ばれる大堀切だろう。
また二の丸には曲輪や櫓台址が良好な形で残されている。

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