九州の観光情報サイト:Kyusyu.sky.net

備前:三石城址(みついしじょうあと)

住 所 :岡山県備前市三石
築城者 :伊東大和二郎
築城年代:正慶二年
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・石垣・堀切・井戸
指定史跡:岡山県指定史跡
訪問日 :令和03年09月26日
  • 県指定史跡

歴史

三石城は「太平記」の伝記によると、正慶二年に三石の豪族:伊東大和二郎が築城したのが始まりと記載されている。
伊東大和二郎は、南北朝時代に南朝方へ属し、敗走する足利尊氏を逃がすため、北朝軍をこの地で食い止めている。
その後、赤松氏が備前の守護となると、守護代の村上氏が正平二十年に三石城へ入城し、長年村上氏の居城となる。
室町時代の嘉吉元年に主君の赤松氏が「嘉吉の乱」を起こすと備前は混乱を極め、赤松、村上両氏は一時没落するが、応仁元年に「応仁の乱」が勃発すると、それに乗じて領土の回復に成功する。
だが、赤松氏の家督争いから赤松、村上両氏の対立が深まると永正十六年に、赤松氏が三石城を包囲するが、村上氏はこの包囲を撃退し赤松氏の威信失墜に成功、主従関係を逆転させ、村上氏は戦国大名へ昇格した。
最後は村上氏で兄弟による争いが勃発すると、三石城から本拠を移すことになり、三石城は自然廃城となった。

現在

現在、三石城址は城山山頂に多くの遺構を残している。
この城山のルートは主に2か所あり、1か所は西国街道の麓から登城するルートと、もう一つは「深谷の滝」の林道を車で進むと駐車場があり、そこから登城を目指すルートだ。
今回は「深谷の滝」ルートから登城を目指した。
この城の一番の見所は「大手門跡」だろう。野面積みでできた石垣の大手門は虎口の形をしており、遺構としても良好だ。
その大手門から馬場跡を進むと三の丸に着く。この三の丸から階段上に二の丸、本丸に進む事ができる。そして、本丸は円状になっている。
その本丸には曲輪や、井戸跡、戦闘時に使用する軍用石が残されている。
本丸が城山の頂上だが、周囲の景観はあまり良くなく下界を見渡す事は出来ない。
本丸の真下には掘切が良好な形で残っており、全体的に見応えがある城址だ。

MAP