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讃岐:高松城址(たかまつじょうあと)

住 所 :香川県高松市玉藻町2-1
築城者 :生駒親正
築城年代:天正十五年
形 式 :平城
遺 構 :天守台・月見櫓・艮櫓
入場料 :大人 200円 / 小人 100円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和02年07月18日
  • 日本三大水城
  • 日本100名城
  • 県指定史跡

歴史

高松城は天正十五年に生駒親正(いこまちかまさ)が築城した。
親正は織田氏、豊臣氏に仕え多くの手柄を立て讃岐を秀吉より拝領すると、当初は引田城(ひけたじょう)に入城するが手狭のために高松城の築城を行った。
築城場所は野原と呼ばれる港町を選定し瀬戸内海の海水を利用しており海城として機能した。
だが寛永十七年に勃発した「生駒騒動」で生駒氏が改易されるとかわって松平氏が東讃岐国に国主として入国した。
松平氏は徳川氏の近親関係でもあり四国の監視役として入国したと云われている。
国主:松平頼重は高松城の拡張を行い三層五階の南蛮造りと呼ばれる天守閣を築城した。
その後も松平氏は明治時代まで讃岐の国主として栄える事となる。

現在

現在の高松城址は玉藻公園(たまもこうえん)内に整備されている。
天守台や石垣、月見櫓や艮櫓などが遺構として残されている。
「日本三大水城」の一つに数えられる通り海が隣接し海水の匂いが漂っている場所だ。
南蛮造りで建てられた天守閣は無く天守台のみだが天守台の広さから天守閣の大きさを伺う事が出来る。
艮櫓が建つ場所は太鼓櫓があった場所で艮櫓をこの場所に移した模様だ。
また「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われており築城当時は海に囲まれた天然の要塞だった事がわかる場所になっている。

日本100名城スタンプ設置場所

玉藻公園管理事務所
高松城東、西口受付所

高松城址関連サイト

高松城【玉藻公園】公式ウェブサイト

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