周防:岩国城(いわくにじょう)
住 所 :山口県岩国市多田
築城者 :吉川広家
築城年代:慶長六年
形 式 :平山城
遺 構 :復興天守・櫓・石垣・堀
入場料 :大人 270円 / 小人 120円
指定史跡:未指定
訪問日 :平成27年10月24日
築城者 :吉川広家
築城年代:慶長六年
形 式 :平山城
遺 構 :復興天守・櫓・石垣・堀
入場料 :大人 270円 / 小人 120円
指定史跡:未指定
訪問日 :平成27年10月24日
歴史
岩国城は慶長六年に吉川広家(きっかわひろいえ)が築城した。
広家の主君:毛利輝元は八ヵ国を所領する大大名であったが、慶長五年の「関ヶ原の戦い」で西軍総大将をつとめた為に敗戦後は周防・長門の二ヵ国へと大減封を命じられる。
その際広家は一族でもある毛利氏存続に尽力しその結果毛利氏は改易を免れる事が出来た。
広家は米子からこの岩国に封じられると要塞の地:横山に要害と山麓に居館を築き、同十三年に岩国城が完工する。
だが元和元年に発令された一国一城令によって岩国城は周防唯一の城となるが、長州藩藩主:毛利秀元(もうりひでもと)が居城の櫛崎城(くしざきじょう)を破却した為に山頂の岩国城も廃城なり麓の居館のみ残された。
吉川氏は山麓の居館を使用して明治時代までこの地に存続した。
現在
現在の岩国城は城山山頂に復興天守や櫓、石垣が残っている。
この復興天守は桃山風南蛮造りの天守となっており本来の天守閣部より30m程離れた場所に建てられている。麓からの景観を重視してこの場所に建てられているのが理由だ。
山頂までは麓の吉香公園からロープウェイが出ており手軽に山頂まで行く事が可能になっている。
山頂には現存の石垣や天守台、空堀が残っており随所に見応えがある場所だ。
また麓は城下町となっており特に錦帯橋(きんたいきょう)は全国的にも有名な橋だが、他にも錦雲閣(きんうんかく)や 吉川氏重臣の香川氏長屋門が残っている。
日本100名城スタンプ設置場所
岩国城内窓口