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備中:撫川城址(なつかわじょうあと)

住 所 :岡山県岡山市北区撫川423
築城者 :三村家親
築城年代:永禄二年
形 式 :平城
遺 構 :現存門・石垣・堀・曲輪
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :平成30年11月16日
  • 県指定史跡

歴史

撫川城は永禄二年に三村家親(みむらいえちか)が備前:宇喜多直家の備えのため築城させた城だ。
天正三年に三村氏が毛利氏に滅ぼされると毛利氏家臣:井上有景が入城する。
天正十年に織田信長による中国攻めの際、羽柴秀吉率いる軍勢が高松城を攻め毛利氏の防衛拠点城として城主:井上有景が守備にあたるが立地的に孤立すると読んだ小早川隆景(こばやかわたかかげ)や、吉川元春(きっかわもとはる)が撤退を命ずるが有景は徹底抗戦し秀吉に敗れてしまう。
その後は宇喜多領となるが慶長五年の「関ヶ原の戦い」によって戦功を挙げた元宇喜多氏家臣:戸川逵安が入城し庭瀬藩を立藩すると城を改修し庭瀬陣屋を構えて城下町の整備も行う。
本来、撫川城と庭瀬城は同一の城だがこの時に別城となった。
だが延宝七年に四代目藩主:安風が死去すると継嗣が無く戸川氏は断絶となる。
その後は安風の弟:逵富が戸川氏を復興させ撫川城本丸のみを拝領し陣屋として使用された。

現在

現在の撫川城址は撫川城址公園として整備されている。
庭瀬城から徒歩5分ほどの位置にあり戦国時代には一つの城として使用されている事を考えると当時は広大な城だったと思われる。
公園内には三神社があり入口の門は撫川陣屋の現在門となっている。
また公園周辺は堀に囲まれ野積石垣が確認出来た。
神社内には曲輪も残されており岡山県指定史跡第一号に選ばれている。
遺構自体も見応えがあるので是非庭瀬城と共に訪れたい場所だ。

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