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備中:松山城(まつやまじょう)

住 所 :岡山県高梁市内山下1
築城者 :秋庭三郎重信
築城年代:仁治元年
形 式 :山城
遺 構 :現存天守・櫓・石垣・堀
入場料 :大人 500円 / 小人 200円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年09月14日
  • 国指定史跡
  • 日本三大山城
  • 日本100名城

歴史

松山城は仁治元年に備中有漢郷の地頭となった秋庭三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ)が大松山に城を築いたのが最初となる。
元弘年間には高橋宗康(たかはしむねやす)が小松山まで城を拡張した。
その後の城主は上野氏、庄氏、三村氏とかわり戦国時代に突入すると城主:三村元親(みむらもとちか)時代の元亀元年に、備前より宇喜多直家(うきたなおいえ)が兵を進めると元親は籠城を行うが一時は城を失うが翌年に松山城奪回に成功する。
天正二年に元親は毛利氏から織田氏に寝返ると毛利氏の猛攻を受け、元親は自害し松山城も落城してしまい毛利氏の領土となる。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」にて毛利氏は西軍につき敗退するとこの地は城番を置く事もあったが元和三年に池田氏が入城する。
だが寛永十八年に嫡子不在のため池田氏が断絶してしまうと、寛永十九年に水野氏が入邦し松山城を現在の姿へと大改修を行った。
その後は安藤氏、石川氏、板倉氏と城主をかけて明治時代を迎えた。

現在

現在の松山城は臥牛山(がぎゅうざん)に多くの遺構を残している。
当城は「日本三大山城」の一つに数えられ、その中でも現存天守や櫓は山城にもかかわらず現存している希少な城となっている。
城までは徒歩で登山をする事も可能だが麓から山頂付近まで専用バスも出ている。
見所はやはり現存天守と重要文化財にも指定されている二重櫓だろう。
他の石垣群などの見所も多くあり大河ドラマのオープニングとして撮影された場所でもある。
またこの付近には猿が生息しており度々、城付近で確認されているので散策される方は注意してほしい。
竹田城同様で雲海が出ている日の光景は雲に浮かぶ城と呼ばれており季節を狙って行くこともお勧めしたい城である。

日本100名城スタンプ設置場所

備中松山城券売所

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