備前:岡山城(おかやまじょう)
住 所 :岡山県岡山市北区丸の内2丁目3-1
築城者 :上神高直
築城年代:正平年間
形 式 :平山城
遺 構 :復元天守・現存櫓・現存櫓門
入場料 :一般300円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和2年06月20日
築城者 :上神高直
築城年代:正平年間
形 式 :平山城
遺 構 :復元天守・現存櫓・現存櫓門
入場料 :一般300円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和2年06月20日
歴史
岡山城は正平年間に名和氏の一族:上神高直がこの地に城を築いたのが最初だと伝わっているが詳細な築城年代は不明だ。
大永年間には金光氏が居城しているが、元亀元年に備前守護代:浦上氏の被官であった宇喜多直家(うきたなおいえ)が金光氏を謀殺しこの地を支配すると急激に勢力を強める事となる。
天正元年には直家の居城であった亀山城から当城に入城し城を改築すると同時に城下町の整備も行った。
同三年、直家は主家であった浦上氏を乗っ取ると備前で巨大な勢力と化す。
その後は秀吉の家来となり息子:秀家に家督を譲り秀家は大大名として当城の修繕を行い慶長二年に城は近代城郭へと変貌した。
だが慶長五年の「関ヶ原の戦い」で秀家は西軍に与し大敗すると八丈島に流刑となり宇喜多氏は改易となる。
秀家に代わって小早川秀秋が備前・美作の領主となり入城するがその二年後に秀秋が死去すると嫡子がいないめ小早川氏は断絶となる。
翌八年に池田輝政(いけだてるまさ)の次男:忠継(ただつぐ)が領主となるも、幼少のため長男:利隆(としたか)が補佐役となる。
その後、岡山城は池田氏の所領として明治時代を迎える事となる。
現在
現在の岡山城は鳥城公園として整備されており復元天守や、櫓などが残っている。
一番の見所は現存している月見櫓だろう、当時の面影を残している櫓は必見の遺構だ。
太平洋戦争までは多くの遺構が現存していたが、空襲で多くの遺構が焼失してしまった。
でも現在は多くの遺構が復元されており発掘調査も行われている。
復元天守は博物館となっており岡山城の歴史を確認する事が出来る。
岡山城の隣には「日本三大庭園」に数えられる後楽園があり、岡山城から後楽園散策は岡山の観光スポットコースにもなっているので是非ともお勧めしたい。
日本100名城スタンプ設置場所
岡山城天守閣入口