紀伊:和歌山城(わかやまじょう)
住 所 :和歌山県和歌山市一番丁3
築城者 :豊臣秀長
築城年代:天正十三年
形 式 :平山城
遺 構 :復興天守・櫓・門・石垣・曲輪
史跡指定:国指定史跡
入場料 :大人 410円 / 小人 200円
訪問日 :平成30年09月08日
築城者 :豊臣秀長
築城年代:天正十三年
形 式 :平山城
遺 構 :復興天守・櫓・門・石垣・曲輪
史跡指定:国指定史跡
入場料 :大人 410円 / 小人 200円
訪問日 :平成30年09月08日
歴史
和歌山城は天正十三年に豊臣秀長が築城した。
秀長は豊臣秀吉の紀州征圧後、この地を賜ると秀吉自らが縄張りを行った城の築城を開始した。
当時は「若山」と呼ばれていた地に普請奉行として藤堂高虎(とうどうたかとら)を起用し、一年で築城を完成させ地名を和歌山と改名した。
だが秀長は大和郡山城に居城を構えていたので桑山重晴(くわやましげはる)を城代とした。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」において桑原氏は東軍に属しその功によって正式に和歌山城主となるが直後に転封となる。
桑原氏の後は同じく関ヶ原の戦いで功があった浅野行長が入城した。
桑名・浅野両氏は居城時に城の改築も行っている。
元和五年に浅野氏が広島藩に転封となり徳川頼宣が五十五万五千石で入城すると紀州徳川御三家が成立する。
頼宣は元和七年に大規模な城の改修を行うが、余りに大改修のため幕府から嫌疑を掛けられるほどであった。
その後も紀州徳川家は明治時代までこの地で繁栄した。
現在
現在の和歌山城は和歌山公園として整備されており復興天守や櫓、御橋廊下に西の丸庭園などが再現されている。
また本丸御殿跡地も存在し紀州徳川家の名残を存分に味わえる場所となっている。
天守閣頂上からは和歌山市内が一望する事が可能で天守閣内は櫓とつながっており見所が多い場所なっている。
上記以外にも茶室や動物園まで混在している場所で見所は尽きない城となっている。
麓からも雄大に聳える和歌山城を観る事が出来、まさに和歌山のシンボルだ。
日本100名城スタンプ設置場所
和歌山城天守閣チケット売場