但馬:出石城址(いずしじょうあと)
住 所 :兵庫県豊岡市出石町内町1
築城者 :小出吉英
築城年代:慶長九年
形 式 :平山城
遺 構 :櫓・石垣・堀・曲輪
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :令和元年09月23日
築城者 :小出吉英
築城年代:慶長九年
形 式 :平山城
遺 構 :櫓・石垣・堀・曲輪
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :令和元年09月23日
歴史
出石城は慶長九年に小出吉英(こいでよしひで)が築城した。
この地は天正二年に但馬国守護:山名祐豊(やまなすけとよ)が有子山城(ありこやまじょう)を築城し長らく山名氏の居城として栄えていたが、織田氏による但馬国侵攻で山名氏は滅びてしまう。
豊臣時代の文禄四年頃に小出吉政(こいでよしまさ)が有子山城に入城し城代をつとめた。
慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」にて小出氏は家名存続のために吉政が西軍につき弟:秀家は東軍として戦うが秀家の活躍により吉政の西軍への加担は咎められず本領安堵となった。
慶長九年に吉政が父の死去に伴い岸和田城に移ると子の吉英が有子山城に入城し執政を取るが、山城の特徴である交通の不便さから有子山城を廃城とし麓の居館を改修し出石城を築いた。
小出氏は出石城を居館とし藩政を執り行うも元禄九年に六代英及が死去すると無嗣改易(むしかいえき)(跡継ぎが無く家が存続しなくなる事)となる。
その後は松平氏が入城するが、宝永三年に仙石氏が松平氏にかわり入城すると明治時代まで仙石氏の居城となった。
現在
現在の出石城址は二基の隅櫓が復元されており出石のシンボルとなっている。
出石といえば「皿そば」が有名で出石城周辺には城下町風情の中に多くの皿そば屋が立ち並んでいる。
城跡は辰鼓櫓が建ち長屋門や家老屋敷、多くの石垣も良好な形として残されている。
また城跡地には稲荷神社も祀られ多くの方が参拝に来られている。
続日本100名城スタンプ設置場所
いずし観光センター