丹波:篠山城址(ささやまじょうあと)
住 所 :兵庫県丹波篠山市北新町
築城者 :松平康重
築城年代:慶長十四年
形 式 :平山城
遺 構 :復元大書院・石垣・堀・馬出
入場料 :大人 400円 /大学生 200円/ 小人 100円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年05月21日
築城者 :松平康重
築城年代:慶長十四年
形 式 :平山城
遺 構 :復元大書院・石垣・堀・馬出
入場料 :大人 400円 /大学生 200円/ 小人 100円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年05月21日
歴史
篠山城は慶長十四年に徳川家康の命によって築城された城だ。
家康は同年に松平康重(まつだいらやすしげ)(松井松田氏)を丹波国に移封させると、豊臣氏と未だ根強い豊臣恩顧の外様大名への抑えとして新城築城の命を出す。
場所は篠山盆地中央に位置する丘稜に決めると普請総奉行に池田輝政(いけだてるまさ)を、縄張り担当に藤堂高虎(とうどうたかとら)と築城の名手を任命し天下普請として約六ヵ月で完成した。
城主:康重が元和五年に和泉に移されると松平信吉(藤井松平氏)が新城主となる。
その後は形原松平氏、青山氏と城主をかえ明治時代を迎える。
現在
現在の篠山城は大書院が復元されており多くの方が来場している。
復元大書院以外にも堀を囲む石垣や馬出といった多くの遺構が残されている。
敷地内には天守台も残されているが天守は元々築城されていない。
その理由として天守を覆う強固な石垣や堀を徳川幕府は問題視し幕府の懸念を払拭する為に敢えて天守は建造されなかったようだ。
石垣の遺構をみると徳川幕府が懸念した事が納得する程の良い石垣が残されていた。
近くには御徒士町武家屋敷群や歴史村があり、また篠山城の濠をボートで見物出来るようになっている。
時間が許される限り堪能できることは間違いないだろう。
日本100名城スタンプ設置場所
篠山城大書院館内