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河内:千早城址(ちはやじょうあと)

住 所 :大阪府南河内郡千早赤阪村
築城者 :楠木正成
築城年代:元弘二年
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・空堀
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年05月04日
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

千早城は元弘二年に楠木正成(くすのきまさしげ)が築城した。
この城は正成が鎌倉幕府討伐の為に金剛山一帯に築城した詰城で前衛に下赤坂城、本城が上赤坂城でまさに城塞郡として幕府軍を迎え撃った。
元弘三年、約二十万と云われる鎌倉幕府軍がこの地に押し寄せ下赤坂城、上赤坂城は落城し残るは千早城のみとなった。
だが正成率いる一千の兵が千早城で奮闘すると幕府軍の油断なども重なり戦闘は百日にも及んだ。
幕府主力軍がこの地で釘付けとなっている隙をついて後醍醐天皇が全国に向け綸旨を発すると各地で蜂起が起こり千早城を囲んでいる幕府軍は混乱を極める事となる。
更に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を攻めると遂に鎌倉幕府は滅亡した。
その後の千早城は楠木氏の居城となるも南北朝末期に攻勢を仕掛ける北朝方に攻め滅ぼされ約六十年に及ぶこの名城も廃城となった。

現在

現在の千早城址は本丸跡地に千早神社が建てられている。
千早神社へは金剛山登山道から進む事が可能で途中約500段続く石道を登る事となる。
千早神社やその周辺に曲輪や空堀を確認する事が出来るが、良好な遺構とは言えずそばに建つ石碑で城址と確認出来るが特に大きな見所はその程度だった。
千早神社付近には楠木正儀の墓や観心寺には正成公の銅像や首塚が祀られている。
大阪の名山:金剛山登山と一緒に楽しめる場所になっている。

日本100名城スタンプ設置場所

金剛山麓「まつまさ」
千早城跡茶屋(不定期)

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