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山城:伏見城(ふしみじょう)

住 所 :京都府京都市伏見区桃山町大蔵
築城者 :豊臣秀吉
築城年代:文禄三年
形 式 :平山城
遺 構 :模擬天守・移築現存門
指定史跡:未指定
訪問日 :平成30年11月24日

歴史

伏見城は天正二十年に天下人:豊臣秀吉が築城した。
伏見城は文禄三年に伏見指月(ふしみしづき)の地に秀吉の隠居後の居城として新城を築城し入城するが、二年後の文禄五年に慶長伏見地震が起き城は倒壊した。
そのため指月伏見城から北東に位置する木幡山に改めて築城し慶長二年に完成した。
だが秀吉は翌年の慶長三年に伏見城内で死去した。
秀吉の死後、後継者:秀頼は遺言により大阪城へ移ると徳川家康が伏見城に入り執政を行う様になる。
しかし家康の独裁政治に石田光成(いしだみつなり)が対立し慶長五年に「関ヶ原の戦い」 が勃発すると、伏見城は家康家臣:鳥居元忠(とりいもとただ)が守りにつくが光成派の西軍に攻められ城の大半は焼失する。
その後伏見城は慶長七年に家康が再興するが「大坂の陣」後の元和九年に廃城となった。
廃城の際に資材は二条城淀城等に使用された。

現在

現在の伏見城址は明治天皇陵となっており城址を確認する事は出来ない。
そのかわり桃山町大蔵に模擬天守が建てられておりそちらが有名になっている。
この伏見城は昭和三十九年に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボルとして、洛中洛外図に描かれている伏見城をモデルとして建てられた模擬天守だが現在はその遊園地も閉園しており模擬天守のみが残っている。
この模擬天守だが耐震強度に問題があるために現在は閉館している。
しかし伏見城として有名で多くの方が来られている。
もしこの近場で伏見城の遺構を観たいのならば御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に行く事をお勧めする。この神社の表門は伏見城の大手門を移築している現存門で伏見城の遺構となっている。

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