近江:鎌刃城址(かまはじょうあと)
築城者 :土肥氏
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :石垣・堀切・堅掘・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年06月23日
歴史
鎌刃城の築城年代は不明だが応仁の乱以前に土肥氏が築城したと推測されている。
その後も堀氏の居城となるが文明四年に京極氏家臣:今井秀遠に攻められると城主:堀左衛門が討ち取られている。
更に天文七年には近江守護:六角定頼(ろっかくさだより)が湖北に侵攻すると家臣:今井定清により鎌刃城は落城し勢いに乗った六角氏は 佐和山城なども落城させ勢力を拡大させた。
だが堀氏は六角氏に降り鎌刃城主に返り咲くが永禄二年に一転浅井氏に臣従した。
しかし元亀元年に浅井長政が急遽同盟関係だった織田信長に反旗を翻すと鎌刃城主:堀秀村は信長に臣従するが、浅井長政から攻撃を受け鎌刃城は落城し秀村は落ち延びる事と成った。
姉川の戦いにて信長が勝利すると浅井氏は急激に勢力を弱め鎌刃城は再度、秀村が城主に返り咲いた。
しかし天正二年に秀村が突如改易されると激戦と城として歴史に名を残した鎌刃城は廃城となった。
現在
現在鎌刃城址は山頂に石垣や堀切、堅掘りが遺構として残っている。
湖北と湖南の国境沿いにあったこの名城は麓から登山で登る事になるが山頂の遺構を見るとその疲れが吹き飛ぶほどの規模だ。
特に主郭部にある石段や北主郭にある大石垣や大堀切からこの城の堅城さと重要性を伺う事が出来た。
また主郭から奥に行くと連続堅掘りや水手にあたる青龍の滝も確認出来る。
麓には害獣被害対策として柵を張り廻られているので登頂の際には充分注意して貰いたい。
続日本100名城スタンプ設置場所
Cafe&Gallery「源右衛門」パンフレットボックス
鎌刃城址散策について
※鎌刃城は登山口が分かり辛くなっています。
お勧めは「続日本100名城」スタンプ設置場所のCafe源右衛門に向かいそこで有料(100円)のパンフレットを購入すると駐車場の場所や登山道、城址遺構図が 詳細に記載されていますので、お勧め致します。