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尾張:犬山城(いぬやまじょう)

住 所 :愛知県犬山市犬山北古券65-2
築城者 :織田広近
築城年代:文明元年
形 式 :平山城
遺 構 :現存天守・石垣・堀
入場料 :大人 550円 / 小人 110円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成31年04月30日
  • 国宝
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

犬山城は文明元年に「応仁の乱」の際に織田広近(おだひろちか)がこの地に木下城を築城した事が始まりだといわれている。
当初は砦ほどの規模だったが天文六年に織田信秀の弟:信康が木下城を廃城し新城を築城するとこれが犬山城となった。
その後、信康の子:信清が城主となるが織田信長に敗北すると信長の支配下となる。
天正十二年に犬山城城主織田信雄は小牧・長久手の戦いで池田恒興から奇襲を受け敗走すると豊臣秀吉は犬山城を本陣とし徳川家康に備えた。
文禄四年に豊臣秀次が切腹すると石川貞清が城主となる。
貞清は犬山城の大改築を行うが慶長五年に勃発した「関ヶ原の戦い」直前に西軍へ与した貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣する。
関ヶ原の翌年には小笠原吉次が城主となり次いで同十二年には徳川義直の家老:平岩親吉が入城した。
更に元和三年に成瀬正成が入城すると以後、成瀬氏の居城となり同六年に犬山城の大改修を行った。
明治四年の廃藩置県により犬山城は廃城となり一度は政府管轄に移行するが、同二十八年に再度成瀬氏へ譲渡され平成十六年まで成瀬氏の所有となった。

現在

現在の犬山城は現存天守が残る城として多くの方が来場されている。
現存天守が最大の見所だが城の中核を担っている見事な野面積(のづらづみ)の石垣も必見だ。
更に間近で見る犬山城も素晴らしいが木曾川河川から眺める景観もまた絶景だ。
平成十六年まで個人所有だった犬山城だがその間国宝に認定されており、現存遺構として現在までこの形を残した前所有者の方に敬意を払い散策を堪能して貰いたい。

日本100名城スタンプ設置場所

犬山城内正門2階管理事務所

犬山城関連サイト

国宝犬山城

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