琉球:島添大里城址(しましいおおさとぐすくあと)
住 所 :沖縄県南城市大里
築城者 :玉村按司?
築城年代:13世紀頃
形 式 :山城
遺 構 :石垣・井戸跡・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成22年03月17日
築城者 :玉村按司?
築城年代:13世紀頃
形 式 :山城
遺 構 :石垣・井戸跡・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成22年03月17日
歴史
大里城は築城者や築城年代などの詳細は定かではない。
大里城の築城者は玉村按司との説があるが、他にも南山城主の島添大里按司(しましーおおさとあじ)が中山王に備えて弟の汪英紫(おうえいじ)に十四世紀頃に築城させたとも云われている。
南山王の勢力が衰退すると汪英紫が近隣を制圧して勢力を伸ばすようになり独自で中国:明と交易を行うようになる。
だが後に琉球の覇者となる佐敷(さしき)按司の尚巴志によって汪英紫は滅ぼされる。
その後、尚巴志による三山統一の拠点の城として使用され三山統一後は第一尚氏王統の支城として尚氏を支えた。
現在
現在の大里城址は「大里城址公園」として整備されている。
公園内全体に多くの遺構が残り琉球石灰岩を使用した石垣は良好な形として残っている。
現在も発掘と復元の作業が行われ、今後どの様な姿かたちをするか見物である。