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琉球:首里城(しゅりじょう)

住 所 :沖縄県那覇市首里金城町1丁目2番
築城者 :不明
築城年代:13世紀末~14世紀
形 式 :山城
遺 構 :復興正殿・石垣・現存門・城壁
入場料 :
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成22年03月16日
  • 世界遺産
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

首里城は築城者や築城年代は定かにはなっていないが近年の発掘調査から他のグスクと同年頃の十三世紀末~十四世紀に築城されたと推測されている。
この城の歴史は尚巴志が三山を統一し琉球王朝を建国すると首里城を本拠に構え首府として尚氏の時代を長く栄えた。
だが中国の史書によると首里城は度々焼失している。
一度目が1453年の王位争い:志魯・布里の乱で城内のほとんどが焼失したという。
二度目が1660年で更に宝永六年には三度目の火災により城の多くが焼失している。
三度目の火災時の再建には木材が不足し九州の薩摩藩が木材を提供したりしている。
その後時代が経ち廃藩置県により琉球も廃止され沖縄県が設立されると首里城は廃城化となり幾つ建物が破壊される。
更に太平洋戦争で首里城は日本軍の総司令部設置場所となり、これが元でアメリカ軍の砲撃を受ける事となる。
この両軍の激しい戦闘で城下町のほとんどの遺構が焼失してしまった。
その後は徐々に再建し2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺構群」として世界遺産に登録され(ただし、登録は首里城跡としてなので復元された建物や城壁は世界遺産ではない)今では全国区の知名度を誇っている。
だが令和元年の大火事で五度目の焼失が起こり一日でも早い復興が望まれている。

現在

現在の首里城は「首里城公園」となっており多くの遺構が復元されているが、 その中で世界遺産に認定されている幾つかの遺構については当時から現存であり歴史を感じ取れる。
もはや説明不要かもしれないほど知名度の高い城なのだが、この城の特徴は中国の影響を受けている造りで城より王宮と言った方が適している。
残念なのは上記に述べている通り多くが復元の為に当時を思わせる遺構が思ったよりも少ない事だ。
だがそれでも復元された遺構を目当ての世界各地から多くの見物客が訪れている。
令和元年に起きた火災により殆どが消失してしまったが現在は復興に向け動き出しており、一日でも早い復興委が待たされている。

日本100名城スタンプ設置場所

首里社館・系図座・用物座・北殿

首里城MAPと関連サイト

首里城-国営沖縄記念公園

MAP