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大隅:志布志城址(しぶしじょうあと)

住 所 :鹿児島県志布志市志布志町帖6380
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :土塁・堀切・曲輪
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成31年01月20日
  • 国指定史跡
  • 続日本100名城

歴史

志布志城は築城者や築城年代は不明だ。
だが南北朝時代には存在したと云われておりその際の乱戦によって拡大されたと考えられる。
その後は文献では救仁院(くにいん)氏、楡井(にれい)氏、畠山氏、 新納氏、肝付氏と乱戦時代の為に城主が変わり大隅の雄:島津氏の本拠地として使用された時代もあった。
新納氏の時代では日向:伊東氏との争いが激化し一度新納氏は飫肥城に移動するも伊東氏に飫肥城を奪われると志布志城に撤退している。
新納氏はその後、志布志城の拡張を考えるが島津氏の怒りを買う事になり攻撃を受け降伏してしまう。
その後は、島津氏の直轄として一国一城令が発令されるまで使用された。

現在

現在の志布志城址は内城、松尾城、高城、新城の四つの城からなる総称で多くの遺構を残している。
特に内城が本丸跡地として土塁・堀切などの遺構が残りその造りはシラス台地の自然を利用した空堀を曲輪として築城した山城となっている。
その為に内城の堀切は広範囲で確認出来、その多くは自然を利用したとは思えないほど立派な遺構を残している。
だがこの内城と松尾城の一部以外は未整備の為に散策を行う事自体が困難なで立ち寄る際は十分注意して欲しい。

続日本100名城スタンプ設置場所

志布志市埋蔵文化財センター

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