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日向:高鍋城址(たかなべじょうあと)

住 所 :宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋
築城者 :柏木左衛門尉
築城年代:不明
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・土塁・堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年04月02日

歴史

高鍋城は財部城(たからべじょう)と呼ばれ柏木左衛門尉(かしわぎさえもんのじょう)が築城したと云われているが築城年代は定かではない。
長禄元年に高鍋城城主:土持景綱(つちもちかげつな)が日向の雄:伊藤祐堯(いとうすけたか)に敗れ滅亡し財部城は伊藤氏の所領となる。
伊藤氏家臣:落合民部小輔(おちあいみんぶのしょう)が城主となるがその伊藤氏も天正五年に薩摩:島津氏に敗れ豊後へ逃走し高鍋城は島津氏の配下になった。
天正十五年に豊臣秀吉による九州征伐で島津氏を降伏させた秀吉は秋月城から秋月種実(あきづきたねざね)を財部城に移動させ新城主とさせた。
財部城に移封した種実は慶長十二年に近世城郭へと大改修を行い三層の天守を持つ城となり種実死去後は三代種信時代に「高鍋」と改称し 秋月氏の居城として長年栄え寛延四年に後の名君:上杉鷹山(うえすぎようざん)を輩出し明治時代に至った。

現在

現在の高鍋城址は「舞鶴公園」として整備されており春には桜の名所となっている。
公園入口は二の丸の正門に当たり二の丸虎ノ門の石垣が良好な形で残っている。
更に本丸跡には御殿跡の礎石や曲輪の遺構が残り近世城郭財部城の面影を伺える。

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