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日向:高城城址(たかじょうじょうあと)

住 所 :宮崎県児湯郡木城町高城
築城者 :新納時久
築城年代:建武二年
形 式 :山城
遺 構 :模擬櫓・土塁
指定史跡:未指定
訪問日 :平成21年10月18日

歴史

高城城はこの地の地形を利用して築かれた強度な城だ。
建武二年に島津時久(しまづときひさ)が足利尊氏(あしかがたかうじ)から恩賞としてこの地を頂戴し城を築城すると同時に性を新納(にいろ)と改める。
北朝時代になると島津氏や土持氏の持城となり長禄元年に伊東氏が土持氏を破りこの地方を制圧し日向の主として君臨する。
だが元亀三年の「木崎原の戦い」で島津氏に完敗した伊東氏が豊後へ逃走すると日向国一帯は島津氏の領土となってしまう。
天正六年には伊東氏救援の為に豊後の大友宗麟(おおともそうりん)が日向へ侵攻し高城近くの耳川で島津氏と戦いを繰り広げる。
だが戦巧者の島津氏に大友宗麟も敗北し勢いに乗った島津氏は宗麟の豊後にまで勢力を伸ばしてしまう。
もはや島津氏の勢いを止められないと見た宗麟は太閤:豊臣秀吉に救援を請うと天正十五年に秀吉による九州征伐の軍が九州へ入り高城は羽柴秀長率いる八万の大軍に囲まれる。
しかし堅城高城城は落城する事はなかった。
それでも戦局は秀吉軍が圧倒し島津氏本体は薩摩へと敗走すると高城に籠っていた山田有信(やまだありのぶ)も降伏して高城城も陥落する。
その後、高城城は秋月氏の領土となり元和元年の一国一城令により廃城となった。

現在

現在の高城城址は「城山公園」となっていて本丸部分には模擬櫓が復元されている。
しかし難攻不落と呼ばれた城跡の遺構は決して多くなく何か寂しさが残ってしまう。
所々に土塁や曲輪を確認する事はできる。
九州の戦国歴史上では有名な場所なので一度は来てみる事をお勧めする場所である。

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